三浦綾子氏は1922年、北海道旭川市生まれ。高等女学校卒業後、17歳から7年間小学校教師を務めますが、太平洋戦争後、罪悪感と絶望を抱いて退職。
その後、肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間療養生活を送る。闘病中にキリスト教に出逢い、1952年に洗礼を受ける。1964年朝日新聞1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し、作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多く小説、エッセイ等発表しました。1999年10月に逝去されています。
こうした三浦綾子氏の文学の仕事をたたえ、末永く後世につたえていくことを目的にファンの募金によって建てられたのが、三浦綾子記念文学館です。『氷点』の舞台である外国樹種見本林の中に建ち、目印の青い看板をたどると、小説の追体験ができます。三浦綾子氏の根強い人気を物語るように、全国各地から訪問者が足を運んでいます。
三浦文学の主題は「ひとはどのように生きたらいいのか」という問いかけといわれています。彼女は庶民の視点に立ち、人間への限りない関心とすぐれた観察力をもってその問いかけの解明をおしすすめています。