明治維新と共に置かれた開拓使によって北海道内の開発は進み、特に石狩川流域には移住者が増加。全道人口の半分を占めるまでになっていました。(明治31年の全道の人口:約85万人)
そうした中、明治31年9月、12時間で71.5mmを記録する豪雨により大洪水が発生。石狩平野はほぼ冠水し、幅約40km、延長約100kmの巨大な泥海が出現しました。
〈明治31年洪水〉
・犠牲者 112名
・浸水流失等家屋 18,600棟
明治31年洪水氾濫区域 「明治北海道洪水概況、附図面」(北海道立図書館蔵)より
※赤で塗られた範囲が氾濫被害があった区域です。
この洪水で農作物はほぼ全滅、やっと架けられた橋や開通したばかりの鉄道線路も流され、北海道開拓を後退させるほどの大きな被害になりました。
明治31年9月9日砂川市外の浸水の状況(北海道大学附属図書館蔵)
明治31年の洪水をきっかけに直ちに北海道治水調査会が設置され、石狩川の治水計画策定のための調査が始まりました。