2020.03.05公開

[川と水辺の歴史旅◆川にまつわる偉人たち]
「北海道」と名付けた探検家、松浦武四郎 vol.1

松浦武四郎は、かつて蝦夷と呼ばれていた北海道を調査した幕末の探検家で、「北海道」の名付け親ともされる人物です。三重県松島市の郷士の家に生まれ、16歳から日本全国を歴訪。弘化元年(1844年)に、初めて蝦夷地探検に出発したのを皮切りに、生涯に6度もこの地に足を運びました。

〈6度の蝦夷地調査〉1回目 1845年5月~10月
太平洋岸2回目 1846年4月~9月
日本海岸ーサハリンーオホーツク海岸ー道央ー太平洋岸

3回目 1849年4月~8月
太平洋岸ー千島列島

4回目 1856年4月~10月
日本海岸ーサハリンーオホーツク海岸ー道央ー太平洋岸

5回目 1857年4月~8月
道南ー日本海岸ー道央ー日本海岸ー道北ー日本海岸ー道央ー太平洋岸ー道南

6回目 1858年1月~8月
太平洋岸ー道南・道央・道東ー太平洋岸ー道東ー太平洋岸ーオホーツク海岸ー日本海岸ー道南ー太平洋岸

安政4年(1857)
松浦武四郎足跡図〈蝦夷地五航〉


松浦武四郎 上川紀行 旭川叢書第28巻 秋葉實 著より

※松浦武四郎の足跡については、名寄河川事務所のホームページで詳しく解説されています。
https://www.hkd.mlit.go.jp/as/tisui/vkvvn800000013dc.html#s6

武四郎はアイヌの人々の助けを借りて北海道各地を踏査し、アイヌ語の地名を記した詳細な地図を刊行しました。その歩みは樺太や択捉島にも及び、生涯に記した記録は石狩日誌、天塩日誌、十勝日誌など150冊に上ると言われています。


明治31年 アイヌの人と丸木舟(天塩川、智恵文スーポロの滝/名寄市)
「太陽第4巻22号(明治31年)」博文館

明治時代になると「蝦夷通」として知られた武四郎は、新政府から蝦夷地に代わる新しい名前を考えるよう依頼されました。武四郎は天塩川流域を調査していた時にアイヌの古老から聞いた話をもとに「北加伊道」という候補を提言。「カイ」はアイヌ語で「この土地で生まれた者」を意味すると言われています。明治新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。

アイヌの古老から話を聞いたとされる音威子府村の筬島(おさしま)、天塩川河畔には、北海道命名を記念する碑が建てられています。


北海道命名之地(音威子府村)


北海道命名之地がある天塩川河畔


音威子府村から中川町間 天塩川 ダウン・ザ・テッシ-オ-ペッ カヌー大会

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