2021.11.18公開

赤い橋が運んだ、支笏湖畔の暮らし
「王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛」を訪ねて

国内有数の透明度で知られる支笏湖のほとりに、令和2年(2020年)1月、ある施設が誕生しました。名称は「王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛(やませんこはんえき)」。王子軽便鉄道とは明治41年(1908年)から昭和26年(1951年)までの約40年間、支笏湖と王子製紙苫小牧工場、そして千歳川沿いにある発電所を結んでいた鉄道で、「山線」とはその愛称。同地を訪れた事のある人なら、湖から千歳川へと流れ出る付近で、紅色の勇姿を呈する「山線鉄橋」を思い浮かべるかもしれません。今回は同ミュージアムを訪れ、ロマン溢れる鉄道の歴史を紐解きたいと思います。


支笏湖ビジターセンターの裏手に新設された「王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛」

急速な近代化が進んだ明治時代後期。国内有数の製紙会社・王子製紙は、急増する新聞用紙の需要に応えるために大規模工場の新設を計画します。操業のためには、紙の原料となる大量の木材と水力発電施設が不可欠でした。そこで白羽の矢が立ったのが、当時は小さな漁村だった苫小牧。豊富な森林と凍らない水を持つ支笏湖を背後に構えていることに加え、海運の要となる港の機能も期待されたのです。


支笏湖畔、現在の親水広場付近を走る蒸気機関車。館内の展示より

王子製紙は手始めに工場と発電所建設で使用する資材運搬のために「山線」を敷設。そこに蒸気機関車を走らせ、千歳川沿いに発電所も建設しました。こうしたインフラ整備の後に、王子製紙の苫小牧工場が明治43年(1910年)に操業開始。その後苫小牧は道内屈指の工業都市として発展を遂げていきます。

明治から大正にかけ木材の運路として活用されていた山線でしたが、大正11年(1922年)には一般乗客の利用も解禁されます。冒頭に触れた「山線鉄橋」はその翌年、北海道官製鉄道上川線の砂川ー妹背牛間の「第一空知川橋梁」を運搬し架け替えたもの。明治初期にイギリス人技師によって建設された、当時の鉄道技術の結晶でした。


ジオラマで再現された山線鉄橋。道内で現存する最古の鋼橋でもあります

昭和8年(1933年)には湖の西、美笛川上流で金鉱山(千歳鉱山、昭和61年に閉山)が見つかり、山線には人や材木に加えて金鉱石を運ぶ新たな役割が与えられました。山線は鉱山や旅館で働く人々にとって唯一の交通手段であり、町から生活物資を届けてくれる生命線だったのです。

時は流れて戦後。支笏湖に自動車道路が整備されると、山線はその役目をバスに譲る形で昭和26年(1951年)に廃線となります。一方、鉄橋はそのままの姿が残され、列車に代わり人々がその上を歩くようになりました。千歳川の澄んだ水面に映る鉄橋の姿は、既にこの地の歴史の象徴ともなっていたのです。その後は保存工事が行われ、平成19年(2007年)に経済産業省「近代化産業遺産群」、平成30年(2018年)には土木学会「選奨土木遺産」に選定されました。

ミュージアムは、山線の歴史を語り継いできた地域住民たちが中心となって設立されたとか。鉄道なき今、先人達の遺志を現代に継ぐ「架け橋」となった鉄橋の傍で、その歴史を繋いでいるのです。


中央の線路は「デルタ線」と呼ばれ、車両の向きを変えるために列車が前後していたのだそうです


苫小牧・千歳との位置を示した広域のジオラマ。当時の設計図を元に作った鉄道模型も展示しています


山線鉄橋は塗装塗り替えのために2021年12月中旬まで仮囲いがされています。今後はさらに鮮やかな湖水とのコントラストを見せてくれそうです

休館日/火曜日(12月から3月のみ)、年末年始
開館時間/9:00〜17:00(12月から3月は16:00まで)
入館料/無料

王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛 マップコード:867 063 389*08

お問い合わせ
王子軽便鉄道ミュージアム「山線湖畔驛」 (北海道千歳市支笏湖温泉番外地)
TEL
090-5950-8054
URL
https://shikotsuko-yamasen.com/

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