2022.07.25公開

千歳は縄文人たちのターミナルだった?実は深い縄文文化と川の関係

世界遺産の認定も記憶に新しく、「土偶女子」なるワードも行き交うなど、近年盛り上がりを見せる縄文文化。実はその暮らしに「川」が密接に関わっていたことをご存じでしょうか? 千歳市埋蔵文化財センターは、千歳エリアで見つかったさまざまな遺物を通じて、現在までの人と川との関わりをも知ることのできる施設。千歳市教育委員会の豊田さんに詳しい話を聞きました!

こちらのセンターについて教えてください!
平成22年(2010年)、千歳川のほとりにある長都(おさつ)小中学校跡を改装して設立された施設です。約2万年前の旧石器時代から縄文時代を経て江戸時代までの市内で見つかった埋蔵文化財の調査・研究と保存、管理を行っています。

畑のど真ん中で驚きました。
今はそう見えますよね。実は、このあたりは太古から千歳川はもちろん、小さな川や沼がたくさんあったおかげで、遺跡や遺物もザクザク発見されてる地域でもあるんですよ。

どうして川や水辺の近くに遺跡が多いんですか?
川は生活用水の供給だけでなく、舟を使った輸送にも利用できます。古来から人は川沿いに生活の拠点を持ちながら活動範囲を広げていたと考えられており、我々埋蔵文化財担当職員は新たな遺跡を探る時、必ず川沿いに目星を付けて調査するんです。


▲擦文時代のウサクマイC遺跡の想像図(千歳市教育委員会提供)


▲新千歳空港建設の際に「美々4遺跡」から発掘された「動物形土製品」。何を模したかは定かではありませんが、カメやオットセイ、水鳥などを模したとする意見もあるそうです。愛称は「ビビちゃん」(展示品はレプリカ)

人の生活と川が深く関わっていたんですね。
例えば千歳川上流、支笏湖に向かう途中に位置する史跡ウサクマイ遺跡群とその周辺では、川辺に擦文時代の住居跡とみられる70〜80個の窪みが発見されていて、加えて縄文時代、続縄文時代の竪穴住居跡や墓跡、さらにアイヌのチャシ(砦)跡と、非常に古くから連綿と人々が川の近くで暮らしていた痕跡が見つかっています。現在、近くに「さけます情報館」がありますが、古来からサケがよく捕れるなど、食料獲得に適した豊かな自然環境であったのが定住の理由ではないかと思われます。

なるほど、食料が獲れるのは定住の理由として大きいんですね。
「土面」が発掘されたママチ遺跡からもサケの骨が見つかっています。それから新千歳空港の東側、美々(びび)の近くまで縄文時代の一時期には海だったので、貝塚が見つかっています。


▲ママチ遺跡から発見された「土面」。縄文時代では最北の土面として、国の重要文化財に指定されています(展示品はレプリカ)


▲6000年前の海岸線。新千歳空港の南東、現在はガソリンスタンドがあるあたりまで海が入り組んでいたそう(千歳市教育委員会提供)

ええっ!?
およそ6000年前、温暖化による海面水位の上昇、いわゆる「縄文海進」があった頃は、空港の南東側にあるガソリンスタンドあたりまで海岸線が続いていたと考えられています。さらに、日本海側も今より海が近かったと思われているんです。千歳はちょうど日本海に流れ出る河川と太平洋に注ぐ河川の上流域にあり、日本海側と太平洋側をつなぐ交通の要衝だったのではないでしょうか。ちなみに現在も、新千歳空港のあたりが分水嶺となっています。

人の往来も盛んだったんですか?
もちろんです。その証拠として、例えば擦文土器とは系統の異なるオホーツク海沿岸地域の土器や、本州・新潟県の原産と見られるヒスイで作られた縄文時代の装飾品が見つかっているんですよ。それから平安時代の貨幣や、中近世の和人と思われる女性の墓も…正直、発掘担当者も驚く発見ばかりでした。共通して言えるのはやはり海や川をつたってこの地にやってきたと見られていることです。


▲近世の丸木舟。約350年前にママチ川での漁に使っていたと推測されるのだとか。周囲の石は縄文時代のもので、漁網の錘に使われていたそうです。

それで千歳に遺跡が集中しているのでしょうか?
人々のくらしを支える水辺の多い自然環境が備わっていたことが大きな理由です。もう1つは、空港や高速道路などの大規模開発が多かったので、「見つかる機会が多かった」という理由です。あまりロマンがない話ですが(笑)

令和3年、世界遺産に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が認定され、千歳市の史跡キウス周堤墓群も構成遺産のひとつですね。
キウスは約3200年前に形成された共同墓地。最大外径は83mにも及ぶドーナツ状の土手のある墓地が9基も発見されています。狩猟採集文化のこれほど大規模な土木構築物で、それも人々の精神性をあらわす「墓」であることが、農耕以前の人類の生活のあり方、精神文化を示す一つの重要な物証として認められたことになります。


▲史跡キウス周堤墓群の1号周堤墓。外径約83メートルと他の遺跡に例を見ない破格の規模を誇る縄文文化最大級の構築物です(北海道立埋蔵文化財センター提供)

世界遺産に選ばれると何が変わるのでしょう。
世界遺産の本来の目的は、遺跡の保護です。しかし保護のためには後世に向けて、なぜ価値があるのか伝えなければ、誰も関心を持たないでしょう。特にキウスは、価値を知らなければただの「盛り土」にしか見えませんよね(笑)。

確かに、正直価値がとてもわかりにくいです…
世界遺産登録を機に史跡を整備し、価値の周知やガイダンスにも力を注ぐことを計画しています。できるだけ多くキウス周堤墓群や縄文文化に親しむ機会を作って、遺跡そのものとその価値を未来へと繋げていくのが我々の役目なんです。


豊田宏良さん:千歳市教育委員会教育部主幹(国指定史跡担当)。昭和38年(1963年)北海道佐呂間町生まれ。早稲田大学大学院を修了後から千歳市教育委員会へ勤務し、埋蔵文化財業務に従事。平成25年から30年にかけて史跡キウス周堤墓群関係の調査を担当。31年度から現職。現在は同史跡の発掘調査、整備事業を担当している。

千歳市埋蔵文化財センター
開室日/月曜日から金曜日・毎月第2日曜日
見学時間/午前9時から午後5時
見学料/無料
マップコード:230 197 130*26

お問い合わせ
千歳市埋蔵文化財センター (北海道千歳市長都42-1)
TEL
0123-24-4210
URL
https://www.city.chitose.lg.jp/docs/95-43785-169-915.html

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