2020.03.05公開

[川と水辺の歴史旅◆北海道の川と舟運]
道央の経済と文化を支えた大動脈、石狩川。

開拓時代の北海道は、陸地の道路網が整備されておらず、川が重要な交通路として利用されていました。当時、札幌-小樽間に道路がなく、小樽から札幌に来るには、汽船で一度、石狩に行き、石狩川をさかのぼって篠路へ。そこからフシコサッポロ川を上って札幌に入る行程が一般的でした。


出典:石狩川舟運誌より


明治23年就航し石狩川の水上交通機関として使われた帆船。明治41年頃(札幌河川事務所蔵)

明治14年に樺戸集治監が設置されると、大型の外輪船が石狩川を航行するようになりました。外輪船とは船体の両側に水車のような「水かき」をつけた船で、水深が浅い川でも航行することが出来ます。樺戸集治監の囚人と生活物資を運ぶために石狩ー樺戸間を運行しました。

当時、大きな水音と蒸気音を立てて航行する外輪船に、川岸の住民たちは目を見張り、文明開化の象徴としてもとらえられていました。


監獄汽船「神威丸」(江別青年会議所蔵)

明治15年になると、札幌〜幌内間に鉄道が開通しました。中継地の江別に駅が設けられ、石狩川航路が開かれました。雑穀船が江別川(現在の千歳川)上流まで往復し、石狩川上流で収穫された農産物や木材は船を使って江別まで運ばれました。そこで鉄道に積み替えられ札幌や小樽に運ばれました。


大正15年4月11日 上川丸と江別港 提供者/佐藤幸之助 出典:石狩川の記憶より


国土地理院旧版地形図「江別」大正8年発行より

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